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Artwork for 天理教の時間「家族円満」

天理教の時間「家族円満」

TENRIKYO

心のつかい方を見直してみませんか?天理教の教えに基づいた"家族円満"のヒントをお届けします。

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  • 21 episodes
  • weekly
  • Avg 12 min
  • Japanese
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  • S20261002 · E1406
    Friday · 13 min

    9年目のランドセル

    5月末、ある教会の奥さんから妻に相談がありました。 「私がお手伝いしている日本語教室にベトナムの生徒さんがいるんだけど、その男の子に使ってもらえるランドセルを探しているの」とのこと。さっそく「うちの息子のお古で良かったら喜んで」とお返事して、一度ランドセルを見に来てもらうことになりました。振り返れば、5人いる我が家の子供たちのランドセルには、それぞれに色々な思いが詰まっています。

  • S20260925 · E1405
    September 25 · 12 min

    伝えたい思いがある

    私は今年、重度訪問介護の資格を取得し、週に一度、障害のある方の支援に携わるようになりました。 私が担当しているKさんは、視覚障害と知的障害の重複障害があり、発語もありません。「言葉が通じない利用者さんと、どう接したらいいのだろう」。不安を持つ私に、長年Kさんを支えてきたスタッフの一人が、こんな話をしてくれました。 「私はKさんのことが、自分の息子みたいに可愛いんです」。 その言葉がとても印象に残りました。言葉で会話が出来ない相手を、どうしてそこまで愛おしく思えるのだろう。その理由を知りたいという思いで、私は支援に臨みました。

  • S20260918 · E1404
    September 18 · 11 min

    『どうして天理教をやってい るの?』

    先日、6歳の娘が「お父さんはどうして天理教をやっているの?」と尋ねてきました。 なぜ突然そんな疑問を持ったのかは分かりませんが、私にとっては信仰の喜びを伝える絶好のチャンスです。しかし、相手はまだ6歳。できるだけ分かりやすく、短い言葉で伝えなければなりません。「何と伝えたらいいだろう?」頭の中であれこれ考えながら、私は答えました。

  • S20260911 · E1403
    September 11 · 11 min

    喜びは最高の伏線回収

    私たちは自分で決められないものに囲まれて生活しています。生まれるタイミング、親、子供、きょうだい、見た目、才能など、数え上げればきりがありません。 さらには思いがけない不運や望まない人間関係など、できることなら避けたい事実も自分でコントロールできません。しかし、それが実は私たちの人生の中にちりばめられた「伏線」であったと、後々気づかされることもあるのではないでしょうか。 親神様がご用意下さった伏線をどのように受け止め「回収」するかは、一人ひとりの心に任されています。陽気ぐらしを自ら引き寄せるためには、どんな伏線であっても喜んで受け取る、そのための努力が必要なのです。

  • S20260904 · E1402
    September 4 · 15 min

    がむしゃらに、ひとすぢに

    以前おぢばの学校に在学していた時、同級生10名とともに大阪の教会で合宿し、約一カ月間にわたって、にをいがけに歩かせて頂きました。帰参者をお与え頂き、マイクロバスでおぢばがえりを実施しようと目標を掲げましたが、ほとんどの訪問先で断られ、なかなかうまくいきません。 そのうち、帰参者をご守護頂くというプレッシャーから、徐々に焦りも出始めてきました。もちろん結果が全てではないのは分かっていましたが、だからといって諦めたら、この布教が何の意味もなくなるような気がしました。 とにかく真剣に、とにかくがむしゃらに、一日々々最後まで諦めず必死で戸別訪問に歩きました。

  • S20260828 · E1401
    August 28 · 11 min

    ぢばに伏せ込んで、よく育つ

    「やしきハかみのでんぢやで」 親里ぢばは、親神様のご守護が籠る「田地」つまり田畑である。その親里で真実心の種をまけば、見えない徳となって生えて身に付いてくると教えられます。 先日、かつておぢばで数年間生活していた女性が訪ねてきてくれました。会話の中で「彼氏とケンカになることがあるけど、その日のうちに解決します」と。「どうやって解消するの?」と尋ねると、答えは、なるほどお道の信仰者らしいやり方でした。 彼女がそのように育った一番の要因は、おぢばでの生活、「伏せ込み」にあると思いました。若い頃、おぢばで過ごした時期に、教えに基づく物事の考え方や行動の仕方を、知らず知らずのうちに吸収していたのだと思います。

  • S20260821 · E1400
    August 21 · 12 min

    おまもりゲット!

    今年の4月、長女が天理の高校に入学し、親元を離れての寮生活が始まりました。入寮の前日、教祖からおさげ頂く「おまもり」について説明しました。これは一生に一度しか戴けないので、子どもが自ら希望した時に下附を願い出ようと、かねてから考えていました。 「だから我が家はお兄ちゃんも2人とも、まだ持ってないんで~」と長女に伝えると、「とととお母ちゃんは持ってるの?」と。 すると妻が懐かしそうに、「お母ちゃんもこの時期にお父さんともらいに行ったわぁ。天理で寮生活が始まる前やったから、お父さん、多分心配やったんやろうなぁ…」 妻の話が響いたのでしょう、長女は「私は、今、欲しいなぁ」と希望してきたのです。

  • S20260814 · E1399
    August 14 · 12 min

    空間に込められたメッセージ

    以前、障害のある方が働くカフェの設計に関わった時のことです。その時私は、多目的トイレに「ユニバーサルベッド」を入れてはどうか、と提案しました。これは大人でも横になれる介助用のベッドで、排泄の介助が必要な方にとっては、とても大切な設備です。 実は私自身、障害のある長女と外出する中で、ユニバーサルベッドがある場所に出会って、「ああ、ここでは歓迎されているんだな」と感じた経験があり、その思いをそのままお伝えしたのです。 建物というのは単なる器ではなく、そこに関わる人の価値観や姿勢が、自然ににじみ出るものだと思っています。だからこそ私は、条件を満たすだけで終わらずに、どんなメッセージを発する空間にするのか、ということを大切にしています。

  • S20260806 · E1398
    August 7 · 12 min

    波止場の教会

    大学を卒業後、大教会で青年づとめをしていましたが、私に与えられた役割は、ホームレス状態になってしまった方々のお世話取りをすることでした。 色んな方が出たり入ったりするのですが、ある日、でたらめなことをして出て行った方から「また住む所が無くなってしまって、そちらに戻りたいのですが」と連絡がありました。私は「どうしたらいいかな」と迷いつつ、そのことを当時の大教会長様に相談に行きました。 心の中では「でたらめなことをして出て行った人だから、もう放っておいたらいいんじゃないか」と言ってもらえると期待していました。しかし、実際には思いもかけない言葉が返ってきました。

  • S20260731 · E1397
    July 31 · 12 min

    出会い

    教会の月次祭を終え、片づけをしていると、携帯電話に着信があったことに気がつきました。それは、三女が通っている幼稚園の先生が亡くなったという悲しいお知らせでした。 先生が子供にかける温かい言葉と思いやりのある行動が、私は大好きでした。子育ての難しさに悩む私にも、いつも温かい言葉をかけて下さいました。 天理教では、死は「出直し」であり、神様からお借りしている身体をお返しして、また新しい身体をお借りしてこの世に戻ってくると聞かせて頂きます。 出直しは悲しいだけじゃない、神様の親心が込められていると頭では分かっていながらも、到底そんな気持ちにはなれません。しかし、時間が経つにつれて、悲しんでばかりではいけない!このお別れを通して、神様は私に何を教えようとして下さっているのかと考えるようになりました。

  • S20260724 · E1396
    July 24 · 12 min

    心の向きが変わる時

    83歳の男性Nさんは、40数年前にようぼくになっていましたが、教会との関わりは、熱心に信仰する奥さんとそのお姉さんを、教会まで車で送迎することと、お姉さんの講社祭に参拝することでした。 そんなNさんに2024年3月、胃がんが見つかり、胃の全摘出手術を受けることになったのです。術後、目を覚ましたNさんは、生かされていることをしみじみと実感し、感激したことを教えてくれました。 この「生かされている」という感激がNさんを変えました。それまで送迎だけだった教会へ、ご自身も参拝するようになったのです。胃を摘出したので見た目はどんどん痩せていきますが、反対に信仰に対して積極的になっていくNさんの姿に、周囲も大変勇ませてもらいました。

  • S20260717 · E1395
    July 17 · 10 min

    神が引き受けて居る

    私は長年、学生生徒修養会のスタッフを務めています。コロナの影響で数年間中止となりましたが、2023年に再開し、3月開催の高校卒業生コースのスタッフとしてお声掛けを頂きました。 しかし当時、妻が4人目の子供を妊娠中で、ちょうど学修期間中と出産予定日が重なっており、上3人の小さな子供たちの世話もあることから、今回はスタッフを務めるのは難しいだろうと考えていました。 お断りの連絡を入れようとした正にその日、本部学生担当委員会から、今回はこのような係をおつとめ頂きたいと連絡がありました。これも神様からのお導きだと考えをあらため、妻と相談をしました。 「人類のふるさと『おぢば』に帰ってくる学生たちを迎える大切な御用だから。自分たちの子供は親神様、教祖が必ず守って下さるよ」と二人で心を定め、学修のスタッフを務めさせて頂くことにしました。

  • S20260710 · E1394
    July 10 · 10 min

    母が大切にしていたもの

    ある日、50代の男性Aさんが訪ねて来られました。話を聞くと、同居していた母親がおととし亡くなったのですが、未だ納骨をせず、自宅に遺骨を置いているとのこと。 と言うのも、Aさんの両親は天理教の熱心な信者でしたが、Aさん自身は天理教のことはまったく知らず、知り合いもいません。父親が入っている天理の納骨堂に一緒に入れてあげたいが、どうしたものかと思案に暮れている所で、伝手を頼って私を訪ねて来られたのです。 さっそく手続きを進め、Aさんの自宅を訪ねると、母親の遺骨は和室に丁寧に祀られていました。そして、その横にはA4ぐらいの大きさの紙に、筆書きで神様のお言葉が記されていました。

  • S20260703 · E1393
    July 3 · 16 min

    大丈夫=マイペンライ

    タイ人のようぼくで、日本語で「大丈夫」という意味のタイ語「マイペンライ」が口癖のTさんという方がおられます。 Tさんは修養科を終えタイへ帰国後、自宅に立派な神床を構えて神様をお祀りし、日を決めて月次祭をつとめ始めました。友人や知人、近所の方、散歩中に知り合った方、会社の方など誰にでも声を掛けるので、月次祭には初参拝の方が多く来られます。 また、祭典に間に合わなかった人にも、「大丈夫、今おつとめ終わったから飲みに来てね」と電話をかけ、奥さんのおいしい手料理を食べながら、みんなで楽しくビールを飲みます。いつも明るく、誰にでも気さくに優しく声を掛け、人を責めることをしない彼の元には、どんどん人が集まります。

  • S20260626 · E1392
    June 30 · 12 min

    街中の小さなふれあい

    フランスでは、日常生活の中での挨拶が何よりも大事です。日本でコンビニに入った時に、カウンターにいる店員に挨拶をする人はほとんどいませんが、フランスではどんなお店に入る時にも必ず「こんにちは」と挨拶し、出る時には「さようなら」と言います。 来仏当初は、このようなフランスの文化を知らずに数々の失敗をしました。 高速道路の料金所では、すぐにお金を受け取ってもらえず、窓口の人は私に「ボンジュール」と繰り返すばかり。訳が分からず困惑していると、「ハッ」と気づきました。答えは「あいさつ」。お金を渡す前に、私に対してキチンと挨拶をせよ、ということだったのです。

  • S20260619 · E1391
    June 29 · 12 min

    生きていることがキセキ

    中一の三男が突然、「僕、乳がんかも知れん…」と深刻そうに相談してきま した。聞くと一か月前から左胸にしこりがあるとのことで、自分でインターネットで検索し、症状と照らし合わせながらそう思ったようでした。 何でも気軽に調べることが出来る世の中になったとは言え、子どもが自分で病気を調べ、その小さな胸でそれを何日も抱えていたことを思った時、親として胸が締め付けられる思いがしました。 そして詳しい検査の結果、何事もなく無事に済んだのですが、渦中にいる時は生きた心地がしませんでした。というのも、子どもに大きな病気を見せられる度に、私は今は亡き祖父のことを思い出すからです。

  • June 12 · 12 min

    心定めが第一

    心定めが第一 埼玉県在住  関根 健一 待ちに待った教祖140年祭。その日を間近に控え、我が家もそれぞれ予定を調整し、家族揃って1月25日におぢばがえりをすることになりました。 車いすの長女も連れて新幹線で移動するため、荷物は前もって宅配便で発送を済ませ、あとは妻と一緒に教祖へのお土産を買いに行くだけ━そんな出発前日の夜のことでした。 近くの大型商業施設が夜9時まで営業しているので、午後7時から出勤する次女を職場へ送りながら出かけようという段取りになりました。夕づとめをつとめ、夕食を終えた私は一旦自室へ上がり、おぢば滞在中に片付ける仕事の資料を整理していました。 そろそろ時間かと思った頃、階下から私を呼ぶ次女の声がします。「はーい、今行くよ」と返事をし、パソコンを閉じて上着を手に階段を降りようとすると、次女が途中まで上がってきていました。そして私の顔を見るなり、「お母さんが心臓の辺りが痛いというので、病院に連れて行って欲しい」と、神妙な面持ちで告げたのです。 慌てて一階に降りると、胸を押さえて横になる妻の姿がありました。これまでも腰痛などでうずくまることはありましたが、明らかに様子が違います。ただならぬ気配を感じ、「救急車を呼ぼうか」と声をかけました。すると妻は苦しそうにしながらも、「救急病院に電話して」と指示を出しました。 すぐに連絡し症状を伝えると、「その症状は当院では専門外になる可能性があります。救急車を呼ぶか、総合病院へ連絡して下さい」との返答でした。 電話を切り、妻と相談の上119番へ連絡。事情を説明すると、「救急車を向かわせました」と言って頂き、少し安堵しました。その後も詳しい症状を聞かれ、最後に「サイレンが聞こえたら外へ出て誘導して下さい」と指示を受けました。 我が家から数百メートルの場所に消防署があるため、そこから来るものと勝手に思い込み、次女に妻を任せて私はすぐ外へ出ました。外へ出てから、「次女におさづけの取り次ぎをお願いすればよかった」と気づきましたが、あとで戻ってからでもいいかと思い、そのまま到着を待つことにしました。 坂の上から消防署の灯りは見えるものの、動く気配がありません。しばらくすると、向かっている救急隊員から私の携帯に電話が入りました。 改めて本人の状態を確認したいとのことでしたが、私が外で待っていると伝えると、「到着まで10分以上かかります。患者さんのそばにいてください」と言われ、そのとき初めて最寄りの消防署からの出動ではないと気づきました。落ち着いているつもりでも、どこか動揺していたのかもしれません。 家に戻ると、次女が「お母さんにおさづけを取り次がせて頂きました」と報告してくれました。その言葉は父親への説明というより、所属の教会長への報告のように響きます。促さなくとも自らおさづけを取り次いでくれた次女の姿が、実に頼もしく感じられました。 やがて救急車が到着。その頃には激痛は和らいでいたものの、波のように痛みが戻る様子です。妻をストレッチャーに乗せ、私と次女も車内へ。既往歴や服薬状況の確認が続き、搬送先が決まると、妻には次女に付き添ってもらい、私は自分の車で病院へ行くことにしました。 帰宅時間が読めないので、長女の介助を看護師の友人にお願いし、入れ替わりで病院へ。すると処置室の前で次女が待っていました。検査と処置にまだ時間がかかるとのことで、「このまま入院になるのか。果たして年祭に参拝できるのか」と、不安が押し寄せてきました。 すると、次女がポツリと「直前までいろいろ起こるね。これが年祭なんだね」と。そのひと言にハッとさせられました。目の前の出来事にうろたえて、これもまた親神様、教祖の思召しだと受け止められていないことに気づきました。 無心で祈る思いで待つこと一時間。看護師さんに呼ばれ、妻のもとへ向かいます。ベッドに横たわる妻は落ち着きを取り戻し、「もう大丈夫」と言えるほど回復していました。 検査結果では急を要する所見もなく、本日は帰宅可能とのドクターの説明を受け、一同胸をなでおろしました。 帰りの車中で妻が、「救急車の中で、修養科に入る時のばあちゃんの話を思い出していたの」と言いました。 30年前、教祖110年祭三年千日の頃。妻は修養科志願の前日に高熱を出し、インフルエンザと診断されました。両親と「来月に延期しようか」と相談していたところ、所属教会の会長である祖母が、「私が連れて行くと言っているのだから心配することはない。神様にもたれていればいい」と言い切ったのです。妻は、「そのひと言があったからこそ、修養科の三か月を勇んで通れた」と、折に触れて私たちに話してくれていました。 その話を思い出しながら、私は「自分が会長として神様にもたれ切っていないから、こんな姿をお見せ頂いたのだ」と深く反省しました。 翌朝、妻はすっかり回復した様子。出発を少し遅らせましたが、家族四人揃って無事おぢばがえりをすることが出来ました。 教祖140年祭当日には、四国・松山から帰参した妻の家族と神苑で合流し、共にみかぐらうたを唱和しました。 真柱様は、ごあいさつの中で、 「月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」(M20・1・13) との教祖のおさしづを引用され、元なる親神様の思いに沿い切る心を定めることが第一であり、これは現在の私たちも心しなければならない信仰の要であると、お諭し下さいました。 そのお言葉を聞きながら、年祭活動を通して完遂できなかった心定めのことや、出発前日の私の心遣いの甘さが胸に迫ります。それでもなお、家族とともにおぢばで手を合わせられたことは、親神様、教祖からの大きな贈り物にほかなりません。 この喜びを胸に刻み、次なる目標へ向かって一歩ずつ前進していきたいと思います。 談じ合い 親神様は、この世界と人間を創めるにあたり、泥海の中を見澄まされ、その中から雛型と様々な道具を引き寄せられ、それぞれに承知をさせて貰い受けられました。 教祖直筆による『おふでさき』に、   みすませばなかにどぢよもうをみいも  ほかなるものもみへてあるなり (六 83)   そのものをみなひきよせてたんぢやい  にんけんしゆごはぢめかけたら (六 84) とある通り、決して一方的に引っ張ってきたのではなく、しっかりと談じ合って、承知をさせた上で人間創造の守護を始められたという所が肝心な点です。どこまでも、受ける側の主体性を親神様は尊重されているのです。 この場面から、現代に生きる私たちの思案のしどころがあるのです。それぞれ異なる性格、異なる考え方を持つ者同士が相対する毎日、それは夫婦、親子であっても同様です。そのような中をお互いに話し合い、諭し合い、心の向きを一つに揃えて歩んでいくことが大切なのです。 話し合いが充分でないばかりに、いざこざが起こってしまうことはよくあります。家族同士でも、相談し合う機会が少ないと、徐々に歯車がかみ合わなくなります。 反対に、談じ合いがしっかりなされていれば、内々は自然と治まり、いかなる節をも乗り越えられる、まさに一手一つの力が得られるのではないでしょうか。 お言葉に、  「談じ合い、だん/\談じ合えば、理は分かる」(M33・9・14)  「今一時の話は談じ合い/\、談示から理を組み立てゝ諭す」(M32・2・2)  「互い/\談じ合いは溶け合いとも言う」(M31・3・19) とあります。 談じ合いは、どれほど時間がかかろうとも、根気よく続けなければなりません。また、談じ合っているつもりでも、いつしか感情的になって自分の考えを押しつけてしまうこともあるので、その点も気をつけなければならないでしょう。 お互いに素直な気持ちを伝え合う中にも、相手の意見を尊重し、心を一つにして溶け合ってこそ、陽気ぐらしへの確かな方向性が見えてくるのです。 (終)

  • June 5 · 12 min

    親身の親

    親身の親 千葉県在住  中臺 眞治 我が家には、8歳と6歳の娘がいます。今はまだ幼く「お父さん、見て見て」と声をかけてくれたり、「お父さん、一緒にあそぼう」と手を引っ張って誘ってくれたりします。そんな時間を私はとても幸せに感じています。 けれども、子供は成長します。だんだんと家族以外の世界が広がり、親と過ごす時間は減っていくのでしょう。親にとって、子供の成長は嬉しくもあり、どこか寂しくもあるものだと感じています。 私は以前、子供とあまり遊んでいませんでした。そのことを反省した出来事があります。 娘の通う幼稚園の行事に参加した時の話です。そこで園長先生が、保護者に向けてこんなお話をして下さいました。 「今のうちに、しっかり子供と遊んでおかないと、将来困った時に相談してもらえなくなりますよ。一緒に遊びながら、喜んだり悲しんだりする。その積み重ねが、〝親は自分のことを分かってくれている〟という安心につながるのです」。 その言葉を聞いた時、私はドキッとしました。我が家の娘たちはとても仲が良く、放っておいても二人で楽しく遊んでいます。妻も子供と遊ぶのが上手で、三人で出かけることもしばしばあります。 それに比べて私は、「仕事があるから」「疲れているから」と理由をつけて、あまり一緒に遊んでいませんでした。「このままだと将来、私だけ相談してもらえない父親になるかもしれない」そんな思いが胸をよぎりました。 それ以来、妻と子供たちが「三人で遊んでくるね~」と言う度に、園長先生の言葉を思い出し、「ちょっと待って、俺も行く~」と後を追いかけるようになりました。 公園で遊んだり、お昼ご飯を食べに行ったり。特別なことではありませんが、その時間が今では、私にとってかけがえのない温かい時間になっています。正直に言えば、今さらあわてて関わり始めた私が、将来どこまで頼ってもらえるかは分かりません。それでも、この時間の積み重ねを大切にしたいと思っています。 子供が将来、誰に相談するのかを考えた時、私はふと、あることを思いました。 私は最近、疑問に思ったことを対話型AIに相談することがあります。膨大な情報の中から、自分では決して思いつかない答えを示してくれる、頼りになる有り難い存在です。しかし、どれほど優れた答えを示してくれても、私と共に悩み、共に喜び、幸せを祈り続けてくれる存在ではありません。 これから先、子供たちも少なからずAIに相談しながら生きていく時代になるでしょう。その時AIは、正しい答えを示してくれるかもしれません。ですが、我が子の幸せを心から願い続ける存在にはなれません。その役目は、やはり親にしか出来ないのではないかと思うのです。 私たちの元の親、実の親である親神様について、『天理教教典』には以下のように記されています。 「親神は、ただに、神と尊び月日と仰ぐばかりでなく、喜びも悲しみもそのままに打ち明け、すがることの出来る親身の親である」 神様には嬉しいことも、悲しいことも、どんなこともそのまま安心して打ち明けることが出来ます。なぜなら、例えこちらが何かが出来ていても、何も出来ていなくても、神様の子供可愛い一条の親心は揺らぐことがないと信じられるからです。 誰もが長い人生の中では、生きる意味や、自分の存在価値を見失うことがあるかもしれません。だからこそ、子供たちには、いつでも、いつまでも揺らぐことのない神様の親心を感じながら、生き抜いていってほしいと願っています。 そのためにもまずは私自身が、どんな時も神様に喜びも悲しみも打ち明け、感謝しながら歩む姿を、子供たちに見せていきたいと思っています。 心に吹く風「思いは誰かに届く」 私は天理教の教会長ですが、それ以外にもいろんな活動に関わっています。宗教家としての熊本刑務所教誨師、行政では主任児童委員、そして学校ではコミュニティー・ティーチャーという立場を頂いて、たびたび小学校の英語の授業にアシスタントとして入っています。 あれは六年前のことでした。私の受け持っていた小学校六年生のクラスで、ちょっとした問題がこじれて、学級崩壊寸前まで追い込まれてしまいました。授業中も数人の児童が席を立ってうろつき、妨害してまともな授業になりません。先生は一生懸命に授業を立て直そうとしますが、子供たちは全く言うことを聞きません。先生の根気も限界に近づいていました。 卒業式が近くなったある日、こう申し出ました。 「一時間、私に道徳の授業をさせてくださいませんか。この子たちに伝えたいことがあるのです」 クラスの様子に手を焼いていた校長先生は、すぐに快諾してくださいました。 私はスライドを用いて、阪神・淡路大震災と東日本大震災の被災地へ、ボランティアに行ったときの写真を子供たちに見せました。 「人間とは、自分がつらく悲しいときにでも、もっとつらい思いをしている人を思いやることができる。そんな人間本来の、美しい心が現れる場面をたくさん見てきた。君たちにも、つらいことや嫌なことがあるだろう。もうどうなってもいいや、と思うことだってあるかもしれない。でも、そんなときに今日の話を思い出してほしい。もっとつらい人はいないかな。もっと苦しんでいる人はいないかな。自分もそうやって他人を思いやれる、美しい人間の一人であることを信じてほしい」 これで学級崩壊が見事に解決し、子供たちが立ち直った、となれば格好いいのですが、現実は、そう甘くありません。もちろん、真剣に聞いてくれている子もいましたが、相変わらず数人の子供は全く話を聞かず、うろうろするばかり。サポートに入ってくださった校長先生、教頭先生は、申し訳なさそうに目を落とされました。 私は「ああ、徒労に終わった」と、自分の力が足りないことを痛感しました。その後も苦い思い出として、ずっと心に小さな痛みを感じていたのです。 さて先日、息子が通っていた高校のPTA役員のOB会がありました。そこで、一年だけ役員をご一緒したある保護者の方が、私のところに来て、こうおっしゃいました。 「あなたは私の息子の運命を変えた人なんです」  私は突然の話に驚きました。 「息子は今年、〇〇大学の理学部地球科学科を受験します。なぜだか分かりますか?」 「分かりません」 「息子は〇〇小学校の出身です」 はっとしました。そうです。あの学級崩壊寸前の小学校でした。あれから六年。あの、あどけなかった小学生たちは、もう大学を受験する年齢になっていたのです。 「あなたは最後の道徳の授業で、息子たちに震災の話をしてくださったそうですね。あの晩、すごく感動したと、息子が私に話してくれました。それ以来、息子は地震に興味を覚えまして、中学校でもずっと、独学で地震のことを勉強していました。そして、いつの日か日本を、地震に負けない災害に強い国にしたいと思うようになったようです。そのために、大学でもっと地震について学びたいと猛勉強を重ね、今日まで頑張ってきたんです」 「そうでしたか。あの中にお子さんが…」 私は、子供たちに思いが全く届かなかったと心を倒していましたが、そうではありませんでした。あのときのつらい思い出も手伝って、思わず目頭が熱くなりました。 一生懸命に何かを伝えようとすれば、心に響く人がどこかにいるのですね。思いは誰かに届きます。決して無駄にはならないのです。 そして、一生懸命に伝えようとした真心を一番ご存じなのは? そう。すべてを見抜き見通しておられる神様ですよね。 (終)

  • May 29 · 11 min

    今が有難い

    今が有難い 東京都在住 松村 登美和 2月のことです。妻とテレビのワイドショーを見ていました。コメンテーターが、あるマラソンレースの結果を振り返りながら、正月の箱根駅伝でも活躍した選手の走り方や、次に開催されるオリンピックの代表選考について、解説をしていました。 次回のオリンピックは2年後、2028年にアメリカのロサンゼルスで開催されますが、マラソンの代表選考は、昨年のレースからすでに始まっているのだそうです。 「そうか、もう次のオリンピックがあるんだ」「前回はパリで、その前が東京だったっけ」と話しながらテレビを見ていると、妻が「東京オリンピックって、メダルいっぱい取ったんだよね」と言いながら、スマホで当時のことを調べ始めました。 すると、「あれ、『2020年東京オリンピック』って書いてあるけど、やってるの2021年だよ」と言うのです。一瞬、頭の中にはてなマークが灯りましたが、すぐに思い出しました。 そうです、2020年は新型コロナウイルス禍の真っ最中で、オリンピックは一年延期されたのでした。世界を恐れと不安に陥れたあの出来事の記憶を、たった5、6年で頭の隅へ追いやってしまうんだ、と自分を振り返りながら、テレビを消して、当時のことについて妻と話をしました。 新型コロナウイルスの流行で、日本では10万人以上の方が命を落とし、すべての人が身体や心、生活や仕事に大きなダメージを受けました。 東京オリンピックが開催されるはずだった2020年は、その年の1月に国内で初の感染者が発生し、東京でも次々と感染が広がっていきました。 私はその東京に住んでいるのですが、東京都では2020年4月から、感染対策として大学などの学習施設、劇場やスポーツ施設、カラオケ施設などに営業休止が要請されました。 また飲食店は午後8時閉店、お酒は午後7時までしか提供できなくなりました。最初の要請は6月に一旦解除されましたが、感染拡大を受けて、その年の夏から秋に、営業短縮の要請が発出されました。 私の家の近くには、居酒屋などの飲食店が多くあります。小中学校の同級生も数人、お店を営んでいるのですが、そうした友人と話をしていても、「居酒屋で夜7時までしかお酒が出せないなんて、誰も店に来ないよ。店を続けていけるか心配だ」といった不安の声をよく聞きました。 夏秋の営業時間短縮は、感染状況を踏まえながら、段階的に緩和されていきました。8時までだった営業時間が10時まで、7時までだったお酒の提供は8時まで、そして10時まで、と段階的に軽減されていったのでした。 その2020年の秋、町で知り合いの男性に会いました。その方も飲食店を開いています。 世間話から始まって、「最近はお店、どうですか?」と尋ねてみました。するとその方の話では、春の緊急事態宣言の時には、しばらくお店を開けていたけど全くお客さんが来ず、最近まで長期間、閉店していたとのこと。時間短縮の期間が明けて、夜もお酒を出すことが出来、お店を遅くまで開けるようになってから再開したと話していました。 そこで私が、「お客さんは戻ってきましたか?」と尋ねると、「いや、まだ全然だよ」との返事でした。 「それは大変ですね」と言うと、その方は「でもね、前に比べたらましだよ。4月は全然だったから。今はね、遅い時間にお客さんは来ないけど、6時7時には来てくれるんだよ」と言うのです。 そして、「4月の時は本当に誰も来なかった。でもね、今は有難いんだよ。早い時間に常連さんが来てくれるようになったから。それが嬉しいんだよ。時間が経てば、きっと遅い時間にも来てくれるようになると思う。今、来ないお客さんのことを思って無いものねだりしてストレスを溜めても、何もいいこと無いからね」と仰るのでした。 その話を聞いて、私は「水を飲めば水の味がする」と教祖が仰せられたお話を思い出しました。 天理教の教祖、中山みき様は、天理教が始まった当初、ご自身がお嫁入りの時にお持ちになった荷物から始まり、中山家の食べ物、着物、金銭に至るまで、次々と困っている人々に施されていきました。生計が苦しくなってからも食を割き、着物を脱いで、人に与えられるのが常でありました。 そんなある日、教祖の娘御であるこかん様が、「お母さん、もう、お米はありません」と仰いました。 すると教祖は、「世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある」と諭され、励まされたと伝わっています。 私は、このお話は「不安に目を向けるのではなく、今現在、喜べることを見つめる」「親神様がいつも守って下さっている」ということを教えられているように思います。 コロナ禍の中、早い時間にしかお客さんが来ないことで不安に押し潰される人もいました。一方、今は有難い、いずれ遅い時間も来てくれる、と前を向いている人もいました。 「目の前にある幸せ」や「守られている姿」に気づかず、「無いものねだり」が勝った時に、幸せは逃げていってしまうのではないか。あの時の会話で、そんなことを思いました。 教祖存命の理 教祖が現身を隠されてから百四十年。今もご存命でお働き下さるその教祖のお働き、お導きをいかにして実感することが出来るか。それは、私たち信仰者にとっての大きな課題です。 教祖ご在世中に、教祖のお姿が目の前になくとも、そのお働きを頂戴した例として、次のような逸話が残されています。 明治十四年、船乗りをしていた土佐卯之助さんは、北海道奥尻島であわや遭難という危ないところを、九死に一生を得て無事大阪へ帰り着くことが出来ました。親神様のご守護のおかげであると、早速お礼を申し上げるべくおぢばへ帰りました。 教祖にお目にかかる前に、居合わせた信仰の先輩たちに、その時の様子を話していると、その中の一人が、「それは何月何日の何時頃のことではないか」と、遭難の日時を言い当てたのです。 その先輩の話によると、「その日、教祖は、お居間の北向きの障子を開けられ、おつとめの扇を開いてお立ちになり、北の方に向かって、しばらく、『オーイ、オーイ』と、誰かをお招きになっていた。それで、不思議なこともあるものだ、と思っていたが、今の話を聞くと、成る程と合点が行った」とのことでした。 これを聞いた卯之助さんは深く感激し、「ない命をお救け下さいまして、有難うございました」と、感涙とともに教祖にお礼を申し上げました。 すると教祖は、「危ないところを、連れて帰ったで」と、優しくおねぎらい下さった、という逸話です。(教祖伝逸話篇 88「危ないところを」) 直筆による「おふでさき」では、   月日よりにち/\心せゑたとで  くちでわとふむゆうにゆハれん (十四 6) それゆへにゆめでなりともにをいがけ  はやくしやんをしてくれるよふ (十四 7) と記されています。 直接話し掛けはしなくとも、夢に見せてまで神の思いを知らせるというお歌です。私たちが日常見る夢の中にも、教祖からの直接のお知らせがあるのかも知れません。しかし、私たちの心のダイヤルが教祖の波長と合わないばっかりに、それに気づかずにいるということもあるのではないでしょうか。 お言葉に、 「心の澄んだ人の言う事は、聞こゆれども、心の澄まぬ人の言う事は、聞こえぬ」(教祖伝逸話篇176「心の澄んだ人」) とあります。 これは、今日の私たちであっても、心を澄ましてお尋ねすれば、教祖はその声を必ず聞き入れて下さるということでしょう。常に教祖を身近に感じながら、陽気ぐらしへの歩みを進めたいものです。 (終)

  • May 22 · 14 min

    私、ひのきしんがしたい!

    「私、ひのきしんがしたい!」 兵庫県在住  旭 和世 ある日の夕方のことです。教会につながる中学生のTちゃんから、私の携帯に着信がありました。 電話に出ると、Tちゃんはいつもと違う元気のない様子で「いま、塾に向かって途中まで来たんやけど、どうしても行けない。でもうちにも帰りづらい…」と、最後は涙声でした。 驚いた私は、そのまま彼女を迎えに行き、教会に連れて帰ることにしました。冬休み直前の出来事でした。 Tちゃんはそれまでの数か月、学校に行けない日が続いていました。いわゆる、不登校のような状況です。 さかのぼること5年ほど前、友人の娘さんが、突然学校に行けなくなった事がありました。その後、状況はどんどん進み、学校どころか部屋からも出られなくなってしまったのです。 けれど信仰熱心な友人夫婦の事、これはきっと神様が友人家族にお与え下さった節なんだ。いつかこの節が生き節になって、この日があったからこそと思える日が来ますように…と、毎日お願いしていました。 その後、しばらくは大変な状況が続きましたが、不思議なご守護を頂いて娘さんの心は少しずつ回復していき、現在はとても元気に成長されています。 友人はこの大変な経験から、「同じように辛い思いをしている人たちの手だすけがしたい」と、子供の不登校や心理学について勉強し、「不登校対応講座」の講師の資格を取得したと連絡をくれました。 彼女によると、不登校は決して怠けている訳でも、サボっている訳でもなく、なんらかのストレスによって心の傷が深まった時、本能的に心を守ろうとする自己防衛のようなものだということ。なので、なぜ学校に行けないのか、本人にもその理由が分からないというケースも少なくないそうです。そして、そんな状況の子供たちへの対応を学ぶことで、子供も親も不安が減り、早期回復を促すことが出来ると教えてくれました。 私にとっては、目からウロコなことばかり!これは不登校のお子さんがいる方はもちろん、そうでない方にも聞いてもらい、不登校の子供たちへの理解を深める事が重要だと思いました。 そこで、是非その「不登校対応講座」の話を、うちの教会で開いている「こども食堂」でしてもらえないかとお願いすると、友人は二つ返事で引き受けてくれました。 当日は、実際に不登校のお子さんを抱えているご家族や、こども食堂にボランティアに来て下さっている方など、色々な立場の方が参加して下さり、私も一緒に学んだ事で不登校への認識がまったく変わりました。 先が見えない事ほど不安な事はないと思いますが、お子さんが不登校になると、本人はもちろん、親御さんも「この先どうなってしまうのか、いつになったら復帰できるのか?」と焦って、お先真っ暗の状態になってしまう。さらに、その親御さんの不安げな顔を見て、お子さんも二重の苦しみを受けていく…という悪循環が生まれてしまうと思うのです。 しかし、不登校にはある程度段階があって、その段階を知り、親御さんや周りの人が適切な対応をする事で、子供たちの心は回復に向かうという事でした。 その講座の後、ほどなくして、Tちゃんのお母さんから、Tちゃんが最近学校に行きづらくなっていると聞きました。私はすぐに、講座で教えてもらった話をお母さんに伝え、まずは本人の思いを尊重しましょうと話しました。その後、Tちゃんは体調を崩し、寝込んでしまう日が続きました。 私は、とにかくおさづけを取り次がせて頂こうと、Tちゃんの家に行きました。いつも教会に来る時の明るい表情とはまったく違う、元気のないTちゃんの顔にびっくりしながらも、おさづけを取り次がせてもらいました。 お取り次ぎの後、「学校で何か嫌な事とか行けない理由があるの?」と聞くと、「ううん。学校には行きたいねん、でも何でか分からんけど無理やねん…」と。 その言葉を聞いて、ハッとしました。これは自己防衛をしているのだと。そこで私は、「Tちゃんは真面目だから学校いかなアカンって思ってるけど、心が疲れているから元気出ないんよ。今は体がTちゃんの心を守ってくれている状態やから、休んでいいんやで。無理せんでいいよ」と伝えました。 するとさっきまで曇っていた顔が、ホッと安心した顔になったのです。ただ、この後もTちゃんは学校に行きづらい日が続きました。 そんな中、夏休み中の「こどもおぢばがえり」の少年ひのきしん隊や、鼓笛隊の合宿、大教会で教えを学ぶ練成会など、ハードなスケジュールが続きましたが、不思議な事に、それらの行事には休むことなく、全て元気に参加することが出来たのです。 そして、いざ新学期が始まると…また行きづらい状況になっていました。しかも、目の前には高校受験という大きなハードルが立ちはだかっています。 そんな時にかかってきたのが、先ほどのTちゃんからの電話でした。彼女の心が限界を迎えているのだと、すぐに理解が出来ました。そして、しばらく教会で過ごすことになりました。 教会での彼女はとてもイキイキとして、ひのきしんを頑張ってくれるし、色々な事に良く気がついて、自分から行動してくれます。 そんな彼女を見ていて、私はふと「Tちゃん、おぢばの学校に行かない? 天理高校の二部は定時制で、おぢばでひのきしんがいっぱい出来て、神様の勉強も出来る所なの。寮生活で大変な事もあるけど、Tちゃんならやっていけると思う」と言ってみました。するとTちゃんの目が急にキラキラと輝いて、「私、おぢばの学校でひのきしんしたい!」という返事が返ってきました。 『稿本天理教教祖伝』第二章「生い立ち」の中に、教祖が、怠け者と言われていた作男を、いつも「御苦労さん」と、優しい言葉をかけて根気よく導かれ、やがて人一倍の働き手になった、というお話があります。 私は、教祖が作男にかけられたお言葉の奥には、彼を信じる心があったのではないかと思います。彼が怠け者になったのには、きっと何か理由があって、素直になれなかった。そんな心を教祖は見通され、彼が本当は怠け者ではないと信じ、「御苦労さん」という言葉をかけ続け、導かれたのだと思うのです。 不登校の子供たちも、決して怠けている訳でもサボっている訳でもなく、自分を守ろうとしているのだという事を、周りの大人が理解し、気長に寄り添い、信じ続ける事が、教祖のお心に通じる行いであると思います。 その後、Tちゃんは天理高等学校第二部の専願受験を決めました。年が明け、新学期が始まり、Tちゃんは初日に登校することが出来ました。 Tちゃんは、担任の先生との面談で「どうして天理高校に行きたいの?」と聞かれ、「私、おぢばでひのきしんをしたいんです。そして神様のお話をもっと勉強したいんです」と答えたのです。私はTちゃんのその言葉を聞いて、教祖がどれほど喜んで下さっているかと思いました。 これから先も、色々な事があるでしょう。心が倒れそうになる事もあると思います。そんな時でも、教祖がされたように、彼女の心の力を信じて寄り添ってくれる人がいれば、きっとまた外に向かって立ち上がる力を取り戻す事が出来ると思います。 こうやって、私がTちゃんの心に寄り添えるようになれたのは、友人が娘さんの不登校という大きな節を乗り越え、その節を生き節にして、ご恩返しとして懸命に伝えてくれたからだと、心から感謝しています。 これからもこのたすけ合いの輪、寄り添いの輪が広がって、多くの子供たちの心が元気になっていく事を願っています。 心配 どんなに環境に恵まれても、物に囲まれていても、心が曇っていては、せっかくの有り難い境遇も意味をなさなくなってしまいます。これから先、どうなるのであろうか、何か悪いことが起こりはしないか。先行きを案じるのは私たちがどうしても消せない癖・性分であると言えるでしょう。 神様のお言葉に、「明らかな心に心配は要らん。心配するというは心に曇りあるから」(M24・11・15)とあります。 辞書では「心配」という言葉について、「これから先のことなどが気がかりで、心を悩ませること」という意味と共に、「心にかけて世話をすること」と、二つの意味が説明されています。 同じ「心配」でも、心を配って人のお世話をするのと、心にかけて思い患い、不安に思うのとでは、まるで正反対の心遣いです。常に人のことを気にかけ、心を配る。すなわち人をたすける心を優先させれば、自らの憂いは自ずと取り払われていくのではないでしょうか。 今、この一瞬々々にも、元の親である親神様のご守護を感じ、生かされて生きていることを自覚し、感謝すること。それが、心の憂いを取り払い、明るく勇んで通る第一歩です。 お言葉に、「一日と言えば、朝結構という中に、明日という」(M25・6・3)とあります。 新しい朝を迎え、目が覚める。今日も新しい一日をお与え頂いた。私たちは親神様のあたたかい懐に抱かれ、導かれているのだから、何も心配することはない。そうして、「朝を結構」と通る中に、明るい日々が、今日、明日という日が開かれていくのです。 もちろん私たちの日常は、喜び事ばかりに囲まれているわけではありません。時に憂うつな出来事にあい、戸惑う時もあります。しかし、一日を喜び一杯につとめ切れば、「勤まった日は夕景安楽という」(M25・6・3)とのお言葉通り、安らかな気持ちで夜を楽しめるというご褒美が待っています。 さあ、今日も一日、勇んで通らせて頂きましょう。 (終)

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