
【仏教と悪】──大悪人・提婆達多の生涯と親鸞聖人の受け止め方
🔶釈迦のいとこであり優秀な弟子だった提婆達多(だいばだった) 仏教の歴史において、「最大の悪役」とも言える人物が提婆達多(だいばだった)です。お釈迦さまのいとこにあたる彼は、お釈迦さまを殺害して教団を乗っ取ろうとした大悪人として知られ、生きながらにして最も苦しい無間地獄(むけんじごく)へ落ちたと伝えられています。 しかし、彼は最初から悪人だったわけではありません。出家した当初はお釈迦さまの弟子として極めて真面目に修行に励み、神通力を会得するほど優秀な修行者でした。また、「修行者であるならば、お釈迦さまの教えよりもさらに厳しい修行に徹するべきだ」という強いストイックさを持つ人物でもありました。 🔶教団乗っ取りの野心と「王舎城の悲劇」 修行を重ねる中で、提婆達多は次第に「自分がお釈迦さまに成り代わって教団を仕切るべきだ」という野心を抱くようになりました。ある時、多くの人々の前で説法をしていたお釈迦さまに対し、「お釈迦さまはご高齢になられたので、私が代わりに教団を率います。安心してご隠居なさってください」と発言しました。しかしお釈迦さまはこれを厳しく退け、面子を潰された提婆達多はお釈迦さまに強い恨みを抱き、教団を奪うことを画策し始めます。 まず提婆達多は、当時インドで強大な勢力を持っていたマガダ国の阿闍世(あじゃせ)太子をそそのかし、クーデターを起こさせました。阿闍世太子はお釈迦さまの最大の支援者であった父・頻婆娑羅(びんばしゃら)王を牢獄に幽閉し、餓死させてしまいます。この痛ましい事件は「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇」と呼ばれ、浄土真宗で大切にされる『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』というお経の舞台となっています。 🔶釈迦の殺害計画と仏教で最も重い「五逆罪」 クーデターに成功して王となった阿闍世の後ろ盾を得た提婆達多は、次にお釈迦さまの暗殺を実行に移します。 山の上から大きな岩を落として圧死させようとしましたが、岩は外れ、砕けた石の破片がお釈迦さまの足の指に当たって出血させました。仏教において仏さまの体を傷つけて血を流させることを「出仏身血(すいぶっしんけつ)」といい、仏教で最も重いとされる「五逆罪(ごぎゃくざい)」の一つです。 (※五逆罪とは、①父を殺すこと、②母を殺すこと、③阿羅漢(あらかん=聖者)を殺すこと、④仏の身から血を流させること、⑤教団を分裂させること、の五つの極重悪を指します。) さらに提婆達多は、那羅吉里(ならぎり/ナーラーギリ)という凶暴な象に酒を飲ませて放ち、お釈迦さまを殺させようとしました。しかし、猛り狂う象も、お釈迦さまの前に近づくとその大いなる慈悲に触れて大人しくなり、膝をついて頭を下げてしまいました。 🔶教団の分裂(破和合僧)と無間地獄への転落 暗殺に失敗した提婆達多は、今度は教団の分裂(破和合僧)を図ります。彼は、当時の教団のルールよりもはるかに厳しい以下の「五事の戒律(五法)」の制定を強く主張しました。 村に入らず、林に住むこと 招待を受けず、托鉢(乞食)のみで食を得ること 信者からの布の施しを受けず、ボロ布(糞掃衣)をまとうこと 屋根のある家には住まず、樹の下に住むこと 魚や肉を一切食べないこと お釈迦さまは中道(ちゅうどう)を重んじていたため、日常生活の中で実践していくことを無視するようなこの極端な要求を拒否しました。すると提婆達多は、自分の厳格な主張に賛同する500人の弟子を引き連れて教団を離脱してしまいます。 しかし直後に、お釈迦さまの高弟である舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)が赴いて説得し、500人の弟子たちを連れ戻しました。これを知った提婆達多は激怒のあまり血を吐き、五逆罪のうち三つもの大罪を犯した果てに、生きながら無間地獄へと落ちていったと経典には記されています。 🔶親鸞聖人が大悪人を「提婆尊者」と敬った理由 ここからが浄土真宗の非常に大切なところです。仏教史に残るこの大悪人・提婆達多に対して、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は著書の中で「提婆尊者(だいばそんじゃ)」と尊称をつけ、深く敬意を払っておられます。お釈迦さまに反逆した悪人を、なぜ親鸞聖人は敬ったのでしょうか。 親鸞聖人は、「提婆達多はただの悪人ではなく、煩悩にまみれた『この私』がお念仏の教え(他力本願)に出会うきっかけを作るために、お釈迦さまと共にわざと悪役を演じて現れてくださった権化(仏・菩薩の仮の姿)である」と受け止められました。経典に登場する極悪人の姿は、実は怒りや嫉妬、野心に囚われやすい「私自身のありのままの姿(煩悩具足の凡夫)」を映し出す鏡なのです。 自分の中に潜む「悪(鬼)」の心をごまかさずに見つめ、完全無欠な善人には到底なれない私だからこそ、そんな私を決して見捨てずに救い取ってくださる阿弥陀さまの広大な慈悲(お念仏)に出遇っていく。提婆達多という存在は、私たちがその真実に気づくための尊いご縁となってくださった方であると、浄土真宗ではいただくのです。 🔶今週のまとめ 【1】提婆達多(だいばだった)はお釈迦さまのいとこであり、もとは優秀な弟子でしたが、次第に教団乗っ取りの野心を抱くようになりました。 【2】阿闍世(あじゃせ)太子をそそのかして父・頻婆娑羅(びんばしゃら)王を幽閉・餓死させた「王舎城の悲劇」を引き起こし、『観無量寿経』の舞台となる事件の引き金となりました。 【3】落石や凶暴な象(那羅吉里)を使ってお釈迦さまの暗殺を企て、仏を傷つける「出仏身血(すいぶっしんけつ)」という五逆罪を犯しました。 【4】極端に厳格な「五つの戒律」を主張して教団を分裂(破和合僧)させましたが、弟子を取り戻されて血を吐き、生きながら無間地獄へ落ちたとされています。 【5】親鸞聖人は、極悪人である提婆達多を「私が阿弥陀さまの救いに出会うために、悪役を引き受けて現れてくださった尊い方(提婆尊者)」として深く敬われました。 次回テーマは「王舎城の悲劇」です。 どうぞお楽しみに。 お話は、熊本市中央区京町(きょうまち)にある仏嚴寺(ぶつごんじ)の高千穂光正(たかちほ こうしょう)さん。 お相手は丸井純子(まるい じゅんこ)でした。