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Artwork for PLENUS RICE TO BE HERE
ArtsFood

PLENUS RICE TO BE HERE

J-WAVE

この番組は作家・文献学者の山口謠司が、日本の食文化を通して全国各地で育まれてきた“日本ならではの知恵”を紐解くポッドキャストです。(FMラジオ局 J-WAVE 81.3FM では毎週月曜日から木曜日11:40〜11:50にオンエア中。)



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  • 24 episodes
  • Avg 8 min
  • Japanese
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  • Wednesday · 8 min

    EP. 695『@近江八幡 、其ノ三 - 赤コンニャク、日牟禮八幡さま』

    近江八幡という町の名は、やはり八幡様と関係があります。ここに祀られているのが日牟禮八幡宮(ひむれまちまんぐう)。応神天皇が近江へ行幸した際、太陽が二つ見えたという伝承も残ります。近江八幡の食卓に欠かせないのが赤こんにゃく。鮮やかな赤色は鉄分によるもので、なぜ赤くなったのかは、織田信長が派手な赤を好んだから、安土城下に赤を好む文化があったからなど諸説あります。乾煎りした赤こんにゃくを、花かつお、みりん、醤油、唐辛子などで煮る「赤こんにゃく煮」は郷土の味。丸く切れば、まるで小さな太陽です。お皿にいくつも並べれば「日牟禮」のよう。食べれば勇気百倍、武運長久です。

  • Tuesday · 8 min

    EP. 694『@近江八幡 、其ノ二 - 小鮎のしあわせ』

    琵琶湖のアユを楽しみに近江八幡へ。炭火で焼いた大きなアユを想像していたら、出てきたのは5〜7センチほどの小アユでした。一口で食べると、モロコとはまったく違う淡く爽やかな味。琵琶湖の美味しいところだけを食べて育ったような、高貴ささえ感じます。本来アユは秋に生まれて海へ下り、春になると川を上って苔を食べながら大きくなりますが、琵琶湖の小アユは湖で一生を過ごすので小ぶりです。そこへ運ばれてきたのが、大きく焼かれた彦根のアユ。冷めないうちに」、頭からパクリ。小アユとはまた違う美味しさです。夏の終わりに、琵琶湖の小アユと大きなアユを食べ比べることができることに幸せを感じました。

  • Monday · 8 min

    EP. 693『@近江八幡 、其ノ一 - モロコ食べて、三方良し』

    近江八幡は、小川に鯉が泳ぎ、黄金色の田んぼや遠くの山々が広がる静かな土地。近江商人屋敷・中江純五郎邸の離れに宿泊し、近江商人の理念「三方よし」に思いを巡らせます。売り手の利益、買い手の満足に加え、地域社会や環境にも役立つ商売を大切にする考え方です。かつて琵琶湖は塩味のない「淡い海」と捉えられ、近江は「淡海(あふみ)」とも呼ばれました。その湖で育つ小さな魚・ホンモロコは、柳の根や水草、深い水、冬の寒さといった琵琶湖の豊かな自然を映すような、淡く優しい味わい。京都を訪れたら大津や近江八幡にも足を延ばし、琵琶湖の味を楽しんでほしいと結んでいます。

  • October 1 · 8 min

    EP. 692『@インスタント食品 、其ノ四 - フリーズドライ お味噌汁は句読点』

    お味噌汁は、日本の食事における「句読点」のようなもの。ご飯やおかずの合間にひと口いただくと、そこに点や丸が入るような「間」が生まれます。今ではお湯を注ぐだけのフリーズドライも身近になりました。その原型ともいえる保存法は、南米アンデスのジャガイモにも見られます。第二次世界大戦では血液成分の保存、戦後は宇宙食へと技術が広がりました。日本では1960年代から研究を進め、1971年にはエビやネギがカップラーメンの具材に。さらに一人分の具入り味噌汁を作れないかということから、1982年にブロックタイプのフリーズドライ味噌汁が完成し、翌年には発売されました。フリーズドライは水を抜くだけでなく、時間を止める技術。お味噌汁もまた、食事の時間をほんの少し止めてくれる、日本らしい句読点なのかもしれません。

  • September 30 · 8 min

    EP. 691『@インスタント食品 、其ノ三 - 俳句の温かさ、レトルトカレー』

    ロンドンから戻ったイギリス人の友人が、「日本のカレーが食べたくてたまらなかった」と言います。俳句を作る彼にとって、俳句は「レトルトカレーのようなもの」。どこにいても温めれば、家の味や人のぬくもりのような親しみを感じられるからだそうです。そもそも「レトルト」とは袋ではなく、加熱する容器や装置を表す言葉。1968年に発売されたボンカレーは、市販用レトルト食品として世界初でした。きっかけは、アメリカの雑誌に掲載された軍用携帯食の記事。そこに大塚グループが持っていた医療用の滅菌技術などを生かし、お湯で温めるだけのカレーが生まれました。すでに出来上がった料理に、最後に温かさを加えるレトルト食品。俳句も温めれば、季節感や親近感を誰かと分け合える。そんな味がでるのかもしれません。

  • September 29 · 8 min

    EP. 690『@インスタント食品 、其ノ二 - 宇宙に飛び出すカップラーメン』

    インスタントカメラ、コーヒー、ラーメン。「インスタント」という言葉から、いろいろなものが浮かびます。1958年、安藤百福さんが大阪・池田の自宅裏の小屋で試行錯誤を重ね、誕生したのがチキンラーメン。当時は「魔法のラーメン」とも呼ばれました。その後アメリカで、丼の代わりに紙コップへ麺を割って入れて食べる姿を見たことが、食習慣の壁を越えるカップヌードルへとつながります。さらに挑戦は宇宙へ。2005年には野口聡一さんが国際宇宙ステーションで、一口サイズの麺と、とろみをつけたスープの「スペース・ラム」を味わいました。お湯があれば、すぐにどこでも食べられるインスタント食品。宇宙にまで飛び出した一方、災害時に私たちのお腹を満たし、次の行動を支えてくれる防災食でもあります。家庭にも、いつも備えておきたいものです。

  • September 28 · 8 min

    EP. 689『@インスタント食品 、其ノ一 - 乾飯、調理時間は歌一首』

    現代のインスタント食品といえば、ラーメンやレトルトカレーが思い浮かびますが、その原型ともいえる食べ物は平安時代にもありました。在原業平がモデルとされる『伊勢物語』第九段では、都を離れて東国へ向かう男が、三河国の八橋で「乾飯(かれいい)」を食べようとします。乾飯は、炊いたり蒸したりした米を乾燥させ、旅に携帯した保存食。カキツバタを折句にした「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」を聞いた一行は、都に残した妻を思って涙を流します。その涙で乾飯がふやけたという印象的な一節から、日本人が古くから米を携え、必要な時に戻して食べていたことが分かります。いわば、昔のインスタント食品です。

  • September 24 · 8 min

    EP. 688『@発酵 、其ノ一 - 甘酒』

    「発酵」の「発」は、もともと弓が勢いよく飛び出すことを表す字。「酵」は酒へんで、お酒を作る「醸す」につながります。お米や麦、大豆が、もくもくと湧き返るように変化し、酒や味噌などへ姿を変えていく発酵。千葉県の神崎町には、全国で初めて発酵をテーマにした「道の駅 発酵の里こうざき」があります。ここで知ったのが甘酒の違いです。米麹から作るものは、お米そのものの甘さを生かし、基本的にアルコールはありません。一方、酒粕から作る甘酒は、商品によってアルコールを含むことがあります。お米は炊いて食べるだけでなく、小さな働き者の力を借りて甘酒や日本酒へと姿を変えていく不思議なものです。江戸っ子はうなぎを食べながら甘酒を飲んだともいいます。では、なぜ今のうなぎには奈良漬がついてくるのか。今度はこの謎を解いてみたいと思います。

  • September 17 · 8 min

    EP. 687『@横浜 、其ノ四 - ニュースが来る!新しい食文化への見直しが始まっている!』

    江戸時代、人をつないだのは街道でした。明治になると、その役割を鉄道と新聞が担うようになります。1871年、横浜で日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊。開港後の横浜には海外の出来事だけでなく、牛乳、牛肉、パン、西洋野菜など、初めて見る食べ物も次々と入ってきました。1869年には馬車道で日本人によるアイスクリンの販売も始まり、食べ物そのものが新しい時代を知らせるニュースでした。横浜には新聞博物館「ニュースパーク」もあります。新聞を開けば、それまで知らなかった世界に出会うこともできます。スマホでは情報が次々と流れていきますが、紙の新聞には自分の心や頭に残っていく情報がある。新しい時代は新しい新聞記事とともにやってくる。横浜は、新しい情報と美味しいものが一緒にやってくる街です。

  • September 16 · 8 min

    EP. 686『@横浜 、其ノ三 - 横浜中華街、登竜門を越える鯉料理』

    古代中国では魚、中でも鯉は大切な存在でした。孔子は息子に「鯉」と名付けています。鯉が川を上り、登竜門を越えて龍になるように、息子への期待を託したのかもしれません。また中国語では「魚」と余裕の「裕」が同じ発音で、魚にはゆとりや豊かさにもつながるイメージ。横浜中華街の朝陽門を見上げると、そこにも二匹の金色の龍。門をくぐって老舗北京料理店へ向かい、いただきたいのが鯉の甘酢あんかけ。鯉は二、三週間ほど真水で泥抜きをするため、あらかじめ注文して待つことも味わいの一つ。熱い油で揚げ、甘酢あんをかけた鯉をゆっくりいただく。食べることは心と体を整えること。横浜中華街で鯉をいただいて、心に余裕を持った「大人」、あるいは「君子」になって帰りましょう。

  • September 15 · 8 min

    EP. 685『@横浜 、其ノ二 - 楕円の文化、お米とシルク』

    横浜・山下町にあるシルク博物館。繭から糸が生まれ、布となり、着物やドレスへ姿を変えていく絹の文化に触れることができます。横浜と絹の深い関係は幕末の開港から。埼玉、山梨、群馬、栃木などで育てられた蚕の繭は生糸となり、横浜から世界へ渡って、日本の近代化を支えました。その陰にあったのが農家の営み。米を作りながら蚕を育てていました。1959年、横浜開港100年を記念して開館したシルク博物館には、古代から近代までの衣装や世界の絹製品も展示されています。繭を眺めていると、その楕円形はどこか一粒のお米にも似ています。体を温める絹と、食べて元気をくれるお米。一粒一粒が、私たちの暮らしを支えてきたんですね。

  • September 14 · 8 min

    EP. 684『@横浜 、其ノ一 - ドリアで元気、横浜行こう!』

    横浜は、1859年の開港以来、生糸貿易などを通して、日本と海外との交流を支えてきた街です。本牧ふ頭にはキリンのようなクレーンが並び、大さん橋や新港ふ頭には国内外の客船が発着。大黒ふ頭では自動車の輸出入も行われています。そんな横浜で、私が大好きなのがホテルニューグランドです。関東大震災からの復興のシンボルとして建てられ、1927年に開業しました。館内には、再生を象徴するフェニックスが随所にあしらわれています。さらに、シーフードドリア、スパゲッティナポリタン、プリン・ア・ラ・モードが生まれた場所としても知られています。歴史と港の景色、そして元祖の味を楽しむたびに、「横浜って、本当に気持ちのいい街だなあ」と感じます。

  • September 10 · 8 min

    EP. 683『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ四 - 全国からおいしいものが届く道』

    古代から現代まで、都が何回変わったのかは数え方によって違います。大きく見れば、飛鳥から藤原、奈良、長岡、京都、そして江戸へ。この飛鳥・藤原の時代、東京周辺は武蔵国と呼ばれていました。驚いたのは、現在の埼玉県美里町辺りから一斗五升もの鮒が飛鳥へ献上されていたこと。藤原宮跡の木簡からも、武蔵国の薬草をはじめ、群馬の鮎、福井の塩、出雲の魚、徳島のイノシシの干し肉など、各地の産物が都へ届けられていたことがわかります。こうした物資の流れは、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道など全国へ延びる道につながっていきます。飛鳥・藤原の都は道の結節点。全国が道で、そして美味しいものでつながっていたんです。

  • September 9 · 8 min

    EP. 682『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ三 - お団子のおいしさ、ここから日本が始まった!』

    694年、飛鳥からわずか4キロほど離れた藤原京へ都が移されました。歩けば一時間ほどですが、日本という国家を成長させるための大事業だったに違いありません。唐が急成長する時代、日本も独立した国として、役所や道路、区画を整えた本格的な都を造る必要がありました。飛鳥から藤原京跡へ歩く途中、柿の葉寿司を頬張りながら、ぜひ坊城駅を目指すしてください。駅前には、蜜ときな粉をたっぷりまぶした小ぶりのお団子が売っています。丸い団子を食べると、みんなが丸くなって仲良くなるような優しい気持ちになります。世界遺産になったのも、みんなの力。その美味しさを口元まで運んでくれるようなお団子です。

  • September 8 · 8 min

    EP. 681『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ二 - 釜揚げ冷やし、お三味線』

    飛鳥というと橿原市だと思っていましたが、世界遺産となった飛鳥は奈良県高市郡明日香村。藤原宮跡は橿原市、長谷寺は桜井市にあります。世界遺産を訪ねるなら、ぜひ味わいたいのが三輪そうめん。「そうめん處 森正」は江戸を感じる構えで、にう麺や柿の葉寿司、むかごなど奈良らしい味が並びます。この辺りは近松門左衛門『冥途の飛脚』にも登場する土地。そうめんをいただいていると、三味線の音まで聞こえてくるようです。そして「飛鳥」と「明日香」。万葉集では「飛ぶ鳥の」が明日香にかかる枕詞として使われたことから飛鳥と書くようになりました。三輪そうめんに、むかご、にう麺、柿の葉寿司。やっぱりその土地でいただくと、これこそ奈良の味という感じがします。

  • September 7 · 8 min

    EP. 680『@飛鳥、藤原の宮都 、其ノ一 - フェザンタージュ、雉子料理』

    今年7月、ユネスコの世界遺産に登録された「飛鳥・藤原の宮都」飛鳥には、石舞台古墳や高松塚古墳、キトラ古墳など、教科書で見た歴史の舞台が広がります。中でも石舞台古墳は、当時最大の豪族・蘇我馬子の墓ともいわれています。飛鳥時代は、推古天皇を中心に、聖徳太子が政策を進め、蘇我馬子が実務を担い、日本という国の基礎が形づくられた時代です。そして飛鳥には、昔から鳥が飛び交っていたともいわれます。その一つが雉。狩猟で、捕らえたあと一定期間寝かせ、肉の旨みを引き出す「フェザンタージュ」という熟成方法があります。熟成した雉肉を味噌や醤油で煮ると、ぐっと深い味わいに。骨から取る出汁も絶品です。

  • September 3 · 8 min

    EP. 679『@加須 、其ノ四 - お米がまんなか!』

    利根川は田んぼに水を届けるだけでなく、土砂を運び、加須の広く肥沃な大地そのものを作ってきた川です。加須市はおよそ半分が農地、その約85%が水田で、米の生産量は埼玉県内第一位。ここで新しい米作りに取り組んでいるのがプレナス埼玉加須ファームです。僕も昨年、田植えと稲刈りを体験しました。田んぼは自然と人間の間を取り持つ環境ではないか、と思いました。田植えの後には生き物調査も行われ、今年もドジョウ、ミズカマキリ、イトトンボ、ホウネンエビなどが見つかりました。今年の秋の稲刈りには参加する予定です。黄金色に実った稲穂って、とってもいい香りがします。やはりお米は真ん中。

  • September 2 · 8 min

    EP. 678『@加須 、其ノ三 - 田んぼの中で育つホンモロコ』

    平成国際大学のある埼玉県加須市。風が吹くたびに稲穂が揺れ、都心から一時間とは思えないほど清々しい田園風景が広がっています。大学内のサトエ美術館には、加須出身の画家・斎藤与里の作品も収蔵されています。加須に生まれ近代を生きた人たちをたどっていくと、やはり田んぼという原風景に行き着くように感じます。その田んぼを利用して加須で養殖されているのが、琵琶湖原産の小魚ホンモロコ。「彩のもろこ」として出荷され、天ぷらや唐揚げにするとサクサクとして実に美味。田んぼで育った魚を味わい、風に揺れる稲を眺めていると、風景画を描きたくなります。

  • September 1 · 8 min

    EP. 677『@加須 、其ノ二 - 輝きの赤い太陽という卵』

    加須には埼玉・栃木・群馬が接する三県境があります。平地にあり、実際に歩いて県境をまたげる珍しい場所です。さらに渡良瀬遊水地には、ハート形の湖を望む「道の駅かぞわたらせ」。ここにはFMわたらせがあり、平成国際大学の学生による番組や、災害時に備えたアマチュア無線の活動も行われています。道の駅には三県から美味しいものが集まり、群馬県板倉町から届いた「輝きの赤い太陽」という卵もその一つ。黄身は名前の通り、太陽のような鮮やかな色でした。高いアンテナの向こうには赤城山や筑波山、天気がよければ富士山まで。見渡す限りの田園地帯と渡良瀬遊水地。大きく深呼吸すると、関東平野の広さを実感できます。

  • August 31 · 8 min

    EP. 676『@加須 、其ノ一 - 地粉のうまさ、鴨汁うどん』

    東北自動車道を走って、久喜白岡ジャンクションから加須あたりに入ると、田園風景が一気に広がります。僕が教えている平成国際大学の周りも田んぼだらけ。5月の田植え前には、黄金色に輝く小麦畑が広がっていました。「麦秋」と呼ばれるこの風景を見て思い出したのが、小津安二郎監督の映画『麦秋』。白黒なのに、黄金色の麦畑が見えてくるような日本の原風景です。 そんな小麦の産地・加須は、うどんも名物。「加須手打うどん会」のお店では、地粉を使ったうどんを、地元の鴨やネギ、ナスと一緒にいただきました。冷たい麺を鴨汁につけてすすると、暑さもすっと引いていくよう。小麦と野菜、豊かな田園の恵みを味わえる加須、ぜひ訪ねてみてください。

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