
ゲスト回BC151 五藤晴菜さんと『iPadアプリ図鑑 2026』
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show notes
面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。今回は、著者の五藤晴菜さんをお招きして『iPadアプリ図鑑 2026: メモ・ノート・AIアプリ』についてのお話をお伺いしました。
(ちなみに前回は以下です)
どんな本か
『iPadアプリ図鑑 2026: メモ・ノート・AIアプリ』というタイトルからもわかるとおり、メモ系・ノート系・生成AI系のアプリがカタログ的に紹介されています。
ちなみに、五藤晴菜さんのWebサイトでは、分野別で検索できたりなどしてたいへん便利なのでそちらもご覧ください。
とは言え、単なるカタログデータであればわざわざ書籍を買うまでもありません。AppStoreを覗けば一発ですし、晴菜さんが実施されているように生成AIに情報を集めてもらうこともできます。
しかしながら、具体的なユースケースについての話題となると話が変わります。それはもう個人が書くしかありません。最終的な文章を人間が書くのかどうかは別にして、「情報源」は個人の経験からしか出てきません。
現代において個別にお金を払って読む価値のある「ノウハウ」は、おおむねそのようなものになっていくのではないかと思っていて、本書でも全編に渡って「こう使う」という話題が展開されています。
たくさんの事例に触れながら、「自分だったらこう使うかな」というイメージを育めるとしたら、価値ある情報だと言えるでしょう。
逆にイメージを育むのではなく、資料やデータとして「使う」なら、本の形で持っているよりも、それをふだん自分が利用する生成AIに手渡せる形が好ましいと思います(実際、Google Play Booksはその方向に舵を切っています)。
おそらく今後の情報の受容スタイルは、この二つの形に分岐していく形になっていくでしょう。
生成AI時代の手書き
本編でも出てきましたが、その上で考えたいのが「手書きの意味」です。
生成AI以前でも情報の「整頓」はコンピュータで可能になっていましたが、現在は情報の「整理」までもが可能になっています。人間が介在する必要はなく、いろいろやっていたら、生成AIが必要なデータを残してくれ、分析し、さらには成果物も作ってくれる。そんな環境にあって、わざわざ人間が何かを書く意味とは何なのかは問われざるを得ないでしょう。
しかもタイピングではなく、ペンで字や線を書くという、「テキストの自動処理」からかなり遠いことをする意味は、ますます感じられにくくなっています。
しかし、情報の受容が二形態に分岐していくように、情報の産出も二形態への分岐が考えられます。しかもその際、二つ行為の距離が空いているほど両方する意味は高いと考えられます。
片方はデジタル-自動化に直接つながる産出で、もう片方は「自分の手を動かす」という身体的・属人的な産出です。
ほんとうに個人的な意見で申し訳ありませんが、そのような身体的・属人的な要素をまったく欠いた「知的生産物」など、あっという間に生成AIに淘汰されるだろうと予想しています。ある種の重み(づけ)を欠いたものにならざるをえないからです。
つまり両方が必要なのですが、起点というかコアになるのは「その人という人がいて、その人がこの世界に生きて、何かを欲望し、経験した結果」の方だと思います。それをいかに知的生産物にもっていくかという部分でデジタル-自動化の部分が活きてくる。そういう構図で私は理解しています。
これは別に手書きをすればそれが成されるという単純な話ではありません。手書きをしたいと欲している人がいるならその欲望を軽んじてはいけない、という話です。まさにそれが属人性なわけですから。
というわけで、2026年の知的生産活動については考慮しなければならないことがたくさん含まれています。自動化そのもので楽になるのは素晴らしいことですが、それにチップをすべて載せるのはおそらく危険でしょう。
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