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Artwork for コンテンツ過剰接続
コンテンツ過剰接続 · Nov 3, 2025 · 1 hr 12 min

#19 特集:あのちゃん(後半)「ミスiDと『ちゅ、多様性。』」

※注意 : 私はこーへは大衆という意味で使われる市井(しせい)の人々を、“いちいのひとびと”と間違って発音しています。正しくはしせいです。 概要文: 「特集:あのちゃん」と題しておきながら、前半はミスiDの歴史を振り返るお勉強回となりましたが、いかがでしたでしょうか?「そんな時代もあったね」と懐かしむ人も、「え!金井球ってミスiD出身だったんだ!」と新鮮に驚いた人も、「もう二度と振り返りたくないな」と古傷を痛めてしまった人も、少なくともこの回を聞こうとするくらいの意欲のある人たちにとって、すべからく2010年代は文化の季節でした。それはありとあらゆる人々の様々な喜びや悲しみ、出会いや別れ、アクシデントやトラウマを踏まえた上での、絶対に再現不可能な季節。そして2020年代は資本の季節となり、ありとあらゆるものが経済化され、金銭の授受によって全ての価値が図られ、2010年代に蓄えた文化の堆積はついぞ収奪されました。奪われたものにしか奪われることの本当の悲痛を理解することはできない。ウエストランドの漫才が所詮「主体性のない悪口」でしかなかったように、主体性のない消費行動を繰り広げる現代人に差し出すための料理ばかりが作り続けられる現在、行き着く先は限りなく地獄のように思えるのですが、せめて見晴らしの良い地獄であってほしいと願うばかりです。 後半では、前半で話したミスiD史を踏まえつつ、大森靖子と日本のフォークミュージック文化の共振について話しています。すると日本語ロック、はっぴいえんど史観を飛躍して、日本語ラップへと過剰接続することとなりました。そして最後には私はこーへの独白で終わります。あのちゃんの話をしていなくとも、間違いなくあのちゃんの話をしています。ぜひお聴きください。

0:00-1:12:02

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show notes

※注意 : 私はこーへは大衆という意味で使われる市井(しせい)の人々を、“いちいのひとびと”と間違って発音しています。正しくはしせいです。


概要文:

「特集:あのちゃん」と題しておきながら、前半はミスiDの歴史を振り返るお勉強回となりましたが、いかがでしたでしょうか?「そんな時代もあったね」と懐かしむ人も、「え!金井球ってミスiD出身だったんだ!」と新鮮に驚いた人も、「もう二度と振り返りたくないな」と古傷を痛めてしまった人も、少なくともこの回を聞こうとするくらいの意欲のある人たちにとって、すべからく2010年代は文化の季節でした。それはありとあらゆる人々の様々な喜びや悲しみ、出会いや別れ、アクシデントやトラウマを踏まえた上での、絶対に再現不可能な季節。そして2020年代は資本の季節となり、ありとあらゆるものが経済化され、金銭の授受によって全ての価値が図られ、2010年代に蓄えた文化の堆積はついぞ収奪されました。奪われたものにしか奪われることの本当の悲痛を理解することはできない。ウエストランドの漫才が所詮「主体性のない悪口」でしかなかったように、主体性のない消費行動を繰り広げる現代人に差し出すための料理ばかりが作り続けられる現在、行き着く先は限りなく地獄のように思えるのですが、せめて見晴らしの良い地獄であってほしいと願うばかりです。


後半では、前半で話したミスiD史を踏まえつつ、大森靖子と日本のフォークミュージック文化の共振について話しています。すると日本語ロック、はっぴいえんど史観を飛躍して、日本語ラップへと過剰接続することとなりました。そして最後には私はこーへの独白で終わります。あのちゃんの話をしていなくとも、間違いなくあのちゃんの話をしています。ぜひお聴きください。