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10分で学ぶ日本の偉人 · August 13 · 5 min

聖徳太子(4)遣隋使・小野妹子と「日出づる処の天子」

第4話は、当時の世界大国・隋(中国)との対等な外交に挑んだ、スケールの大きな外交エピソードです。 607年、聖徳太子は小野妹子らを「遣隋使(けんずいし)」として隋へ派遣しました。その際、隋の皇帝・煬帝(ようだい)に送った国書には、こう記されていました。 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや(日が昇る国の天子が、日が沈む国の天子へ手紙を送る。お元気ですか)」 中華至上主義を掲げ、自らを唯一の絶対者と信じていた煬帝は、「対等な立場」で呼びかけてきた日本の無礼さに激怒したといわれます。しかし同時に、自国と同等の気概を持つ東の国の存在を視覚させられることとなりました。 太子はこの外交を通じて隋との国交を開き、先進的な制度や学問、仏教文化を貪欲に吸収することで、日本の国家としての格を大きく引き上げたのです。

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第4話は、当時の世界大国・隋(中国)との対等な外交に挑んだ、スケールの大きな外交エピソードです。
607年、聖徳太子は小野妹子らを「遣隋使(けんずいし)」として隋へ派遣しました。その際、隋の皇帝・煬帝(ようだい)に送った国書には、こう記されていました。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや(日が昇る国の天子が、日が沈む国の天子へ手紙を送る。お元気ですか)」
中華至上主義を掲げ、自らを唯一の絶対者と信じていた煬帝は、「対等な立場」で呼びかけてきた日本の無礼さに激怒したといわれます。しかし同時に、自国と同等の気概を持つ東の国の存在を視覚させられることとなりました。
太子はこの外交を通じて隋との国交を開き、先進的な制度や学問、仏教文化を貪欲に吸収することで、日本の国家としての格を大きく引き上げたのです。